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ありがとうございました。

あまりにも早くに逝ってしまったYakko・・・

無宗教形式で執り行った「お別れの会」でお話しした内容を記載させていただきます。

3/14 末尾に靖子からの手書きメッセージとレシピメモを追加掲載しました。

(会場でお配りしたカード)
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『お通夜の席でのあいさつ』

「人って死ぬとどうなるんだろう?」
「身体がなくなるってどんな感じかな?」
以前、靖子と二人でそんな話しをしたことがあります。
その時、靖子は
「きっと初めは新しい環境になじむのに戸惑うこともあるけれど、
 きっとそこでも新しい友達や素敵な場所をたくさん見つけられると思う。
 私が先に逝ったらリサーチしておいてあげるね。」と話していました。

ねえ、靖子・・・新しい世界はどんな感じですか?

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(2006年9月 沖縄宮古島の砂山ビーチにて)

本日はこのような交通の便の悪い場所まで、亡き妻、故 靖子(旧姓 加山靖子)
葬儀のためにお運びくださいまして、厚く御礼申し上げます。
当初は靖子の希望に沿って、親類縁者だけの小規模なお別れの会を開こうと
考えておりましたが、このように多くの皆様がお集まり下さったこと、
本当に感謝の念に耐えません。
年齢的に若輩者であること、従前よりあまり宗教になじみがなかったことより、
このような無宗教形式の会とさせていただいております。
段取り、手はずが整わず、皆様にも多々ご不便をおかけするかと存じますが、
故人の希望ということでご容赦いただけますようお願い申し上げます。
通常、仏教形式であればここでは読経、法要が執り行われるのですが、
その代わりといっては何ですが、故人となった靖子の生い立ち、これまでの生き様など
を紹介させていただく時間とさせていただきます。
しばらくの間、お付き合いください。

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(2001年6月 バリ島クタビーチにて)

生い立ちについて

昭和42年4月2日(土)16時25分、予定日より11日遅れで豊島区要町の産院に生を受ける。
3,100gの大きくて元気な赤ちゃんだったそうです。
両親によると
「生まれた時から髪の毛がふさふさして、色白で、こんなきれいな赤ちゃんがいる
 とは思わなかった」そうです。
小学校1年生の夏まで都会の板橋で暮らし、その後高校2年生の夏まで多摩川に面した
府中市中河原で過ごす。
小学校低学年時代は、お父さんの
「けんかするなら勝つまでやれ」
という教育方針の影響を受け、やんちゃで男勝り、いつも家来を引き連れ、
表で駆け回っていたそうです。
その後は一転、バレエのレッスンにのめりこみ、クラスが閉鎖になる中学生の頃まで
たいそう熱中していたそうです。

府中へ転居してからは、時代の風潮もあり、先生や友人との関係で悩んだ時期も
あったそうですが、持ち前の天真爛漫さとしたたかさを兼ね備えた性格、そして
なにより大好きだったバレエのおかげで何とか難しい時期を乗り越えました。
周りの雰囲気を読んで最適な答えを即座に導く、人の痛みや苦しみを感じ取り、
さりげなくフォローする性格は、この頃育まれたのかもしれません。
小さい頃から親の過干渉を嫌い、独立心や自立心が旺盛だったそうですが、
小学校高学年の時に、それまで続けて来たピアノをやめるに際して、
両親には一切相談も断りもせず、自分で状況を判断し、先生に「今日で辞めます」
と伝えて来たというエピソードがあります。

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(2001年6月 バリ島ウブドにて)

その後は今も両親が住んでいる三鷹市新川へ転居。
高校は両親としては都立か女子大の付属に行かせたかったそうですが、
本人は杉並区荻窪にある日本大学第二高等学校を選び、新宿に近い学校で高校生活
をエンジョイするとともにアイスホッケー部のマネージャーとして活躍。
当時、表参道でモデル事務所から何度かスカウトされたこともあったそうですから、
周りよりすこし大人の世界を垣間見ていたのかもしれません。
大学は世田谷区にある日本大学文理学部に進み、心理学を専攻するとともに、
国語の教員免許を取得。
部活はテニスサークルを選び、そこで将来の伴侶(私)と出逢うことになります。

1990年、バブルの走りの時期に浅草橋にある総合商社「エトワール海渡」に就職し、
大好きだったタオルの企画、販売に関わる傍ら、会社の学生採用用のパンフレット写真
を飾ったこともありました。
当時から世間の評判は高かった同社ですが、やりがいはあるものの、内情はたくさん
働かされる労働環境の厳しい会社だったと聞いております。
今でも仲好しの同期3人娘でかしましく、一致団結して11年勤務する中、27歳で結婚。
同時に、一人娘を遠くにやりたくないというお父さんの要望を聞き入れ、
実家から程良い距離にマンションを借り、親元を一応離れます。
その後、この場所からも近い三鷹市牟礼6丁目に新居を購入し、
自分の思い通りの生活空間を作り上げました。

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(2005年7月 バリ島ウブド イバの散歩道にて)

11年働いたエトワール海渡をやめると決心した際も、ピアノのときと同じく、
持ち前の決断力と実行力で特に迷ったり、悩んだりすることもなく自分の意思で
スパッと辞め、失業期間中は次の目標である簿記の専門学校に通い、資格を取得。
その後、当時新宿に有った外資系ISOコンサルティング会社に転職しました。
こちらも外資特有の難しい環境の中ではありましたが、気が会うお友達とストレスを
上手く発散させながら頑張ったと聞いております。
途中、2005年夏に直腸にがんが見つかり、大規模な開腹手術を受け、体力気力共に
きつい入院生活を強いられたこともありましたが、持ち前の負けん気で復職し、
がんが再発し、体力が続かなくなるまで大好きな仕事をしていました。

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(2009年12月 沖縄 本部手作り市にて)

主婦となってからは、好きな時期に国内旅行に出掛けるかたわら、英会話、
フラワーアレンジメント、ビーズアクセサリー作り、レース編み、「タオルソムリエ」
の資格も取得しました。
常に自分の興味のあるものに積極的に挑戦していた靖子、昨年からは三鷹市で
行われている本格的な手話講習を受講しており、「難しくて落ちこぼれ・・・」と
言いながら、亡くなる前日まで手話の練習をしていました。
旅行に加え、美味しいものを食べることが大好きだった靖子ですが、料理の腕
(手際、味、見栄え)も良かったことはご存知の方も多いと思います。
先日もそのことに触れ、靖子は
「私の料理がほめられるのはお母さんの料理が上手だったから、だからお母さんには
 感謝しているよ。」と話していました。

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(2010年10月 ご近所の神代植物公園にて)

5年半前に直腸にがんが見つかってから、思えば病院があたらしい靖子のフィールド
だったのかもしれません。
先生や看護師さんとの信頼関係を構築し、入院生活をすこしでも快適に過ごせるよう
創意工夫し続けていました。
そんな努力が実を結んだのか、靖子の明るさ、洞察力の鋭さ、ポジティブな思考に誘われる
ように病院内での友人も増えました。
今回、最後となった1月末からの入院期間中も、今は主治医ではない先生、以前お世話に
なった違う病棟の看護師さん、外来の看護師さんたちが入れ替わり立ち代わりお見舞いに
来てくれました。
皆さんが揃って口にするのは、
「患者さんである靖子さんから、いつも逆にパワーを貰っちゃう」
「岩倉さんのお部屋はいつもいい香りがして、その上素敵な音楽まで流れていて、
 まるでサロンみたいで癒されます」
「今、旅行するならどこがお勧めですか?何を食べたらいいかな?」
「岩倉さんには嘘がつけないから・・・岩倉さんだけに話しちゃいます」などなど。

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(2004年12月 沖縄ブセナテラスにて)

病気との闘いはつらく、厳しいものでしたが、そんなそぶりは見せず、年齢や経験、職種
に関係なく、訪れる人みんなをやさしく包むような雰囲気を自分の病室内に作り、
相手のペースで話しながら進むべき道をそれとなく諭す、まるでカウンセラーのような
患者だったようです。
また、第一層と言われ、効果および副作用が特定できない新薬の治験にも運良く参加する
ことが出来ましたが、その副作用は本当につらそうで、まわりから見れば
「なんでそこまで頑張るの?」と聞いてみたいくらいのものでした。
結果としても、その新薬は靖子の腫瘍にはそれほどの効果もなかったようですが、
「がんと診断されてから、5年も時間を与えてくれた医薬品、医療、医師、病院、看護師さん
 への恩返しだと思うから、命を削ってでも頑張りたい」
と自分を奮い立たせていました。
先日、当時の担当看護師さんから
「岩倉さんのおかげで新薬が新しいステージに進みました」
と連絡を受け、共に喜んだ覚えがあります。

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(2003年9月 バリ島スミニャックにて)

すこし、話が長くなりましたが、最後のシーンだけ振り返らせてください。
今回入院する数日前
「私に何かあったら引き出しの中にあるノートを見てね」
と伝えられました。
以前から「何事も段取りがすべて」と事前に準備をしておく人でしたが、
急遽入院となって僕が慌てた時にそのノートを見ると、いつの間にこんなものを作って
おいたのかと不思議に思うほどでした。
入院に必要なセットがどこに入っているか、着替え類や入院中必要な物資の所在、
保険請求方法と連絡先、僕が日常生活する上で必要なものの収納場所リストと、
ごみの日のスケジュールまでが、事細かく書かれていました。
またその中には「最後に逢いたい人リスト」まで作成してあり、
入院中も逢いたい人リストを毎日確実にこなしつつ、なんとリストを達成した翌日に
あっさりと息を引き取りました。
「発つ鳥、跡を濁さず」と言いますが、これほどまでにきれいな引き際には、
我が妻ながら「あっぱれ」と声をかけてあげたくなるくらいすばらしい最後でした。

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(2009年7月 沖縄 慶良間諸島にて)

がん特有の壮絶な痛みに悩まされる日々も多かったですが、最後は痛みも苦しみもなく、
16:07、本当に「すーっ」と蝋燭の灯が消えるように息を引き取りました。
身支度をしてくれた看護師さんも、思わず微笑むくらいの穏やかで和やかな笑顔でした。
きっと今頃は、大好きだったバリ島や沖縄、もう一度行きたいと言っていたヨーロッパの
国々を、亡き愛犬コロを連れて、軽やかなステップで満喫していることと思います。
本日、2階に想い出コーナーを設置させていただき、二人で行った素敵な場所、靖子の
楽しい笑顔などを飾っておりますので、後ほど見ていただければと思います。
よろしければ備え付けのカードをお持ちになり、インターネットが使える環境であれば
我が家のブログも見てやってください。
ここには飾りきれない想い出が、たくさん、たくさん詰まっています。

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(2001年5月 伊豆下田 大浜にて)

最後になりましたが、靖子は4月2日生まれということで、毎年誕生日の頃に満開になる
桜を楽しみにしておりました。
冬の凍える寒さの中で、花を咲かせるため着実に準備を整え、春になるとその明るさ、
華やかさで人を惹きつける桜。
そして散り際を知り、吹いてきた風に花びらを託すように、さっと散ってしまう桜。
美しい姿だけを多くの人の目、心に焼き付けて・・・
靖子は本当に桜のような、素敵な人でした。
そんなすばらしい人と出逢え、誰よりも近くで、そして誰よりも長い時間を共に生きられた
僕はほんとうに幸せでした。
2月21日という命日は忘れても、春になって桜が咲いた時に、ふっと靖子のことを
思い出していただければと存じます。

ありがとう、靖子。
いつか、また逢いましょう。

皆様、これまでのお付き合いならびにお見舞いの気持ちに本当に感謝申し上げます。
なお、一人娘を先立たせなくてはならなかったお父さん、お母さんの心情を察し、
今後ともご支援をいただけますよう、亡き靖子に成り代わりましてお願い申し上げます。

以上

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(家族の合意で選んだ遺影の写真、後で確認したらちょうど2年前の2月21日に撮っていました)

お別れの会は23日(水)、24日(木)に恩師、先輩、友人、知人、仲間・・・
多くの方の参列をいただき、無事に終了いたしました。
葬祭場から火葬場へのルートは、期せずして、自宅、お世話になった病院、実家、
結婚後初めて住んだマンション、手話のクラスが行われている市役所、好きだった
野川公園などなど、自分の生活圏を同行の皆さんにご紹介するルートとなりました。

納骨は靖子の誕生日である4月2日を予定し、埋葬場所は本人の希望であった
東京都多磨霊園とし、お墓は設けず、合葬という形で行う予定です。

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(2009年9月 和歌山 熊野古道にて)

理解ある会社、上司、同僚、部下の勧めで、僕は12月頭から会社を休み、
自宅で、病院でずっと靖子の側にいることが出来ました。
靖子の不安を少しは和らげてあげることができたのかな?

がんと診断されてからずっとお世話になった杏林大学医学部付属病院の皆さんにも
本当にありがとうと言いたいです。
大学病院でありながら、手厚い終末期医療を行ってくれたこと、看護師長さんを筆頭に
総勢5人がかりでベット上から動けない靖子を全身入浴させてくれたこと、
そして息を引き取った後、フロアにいた看護師さん、先生全員で車に乗せるまで
見送ってくれたこと・・・本当に感謝しています。

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(2008年4月 神代植物公園にて)

実は、今年の1月中旬にかねてから念願だったパスポートの再取得をしていました。
がんが見つかって以来、海外旅行は断念していたのですが、病院での英語による症状の
受け答えの仕方や必携品となっていた麻薬系痛み止めの海外持ち出し方法等を確認し、
体調が回復したら、今度こそと思いを巡らせていたようです。
「今年の目標は出入国スタンプをまずは1個押してもらうこと、本当はたくさん、たくさん
 行きたい場所があるから、すぐにスタンプで一杯にしたい!」と話していました。
今年は手始めに、通いなれたバリ島に行こうと、パンフレットまで取り寄せていたのですが・・・
今頃は、大好きなバリ島でのんびりと風に吹かれているか、ビーチで友達にマニュキュアを
してもらっているかもしれませんね。

日を経るにつれ、大変大きな、そしてかけがえのない存在を失ったことが痛感されます。
くやしくて、悲しくて、やりきれなくて、淋しくて、涙が止まらなくて・・・
でも、自分の生を全うした靖子を心配させないよう、頑張って立ち上がらなくては。
お世話になった皆さんへの感謝の念で一杯です。
ありがとうございます。

靖子が遺した手書きのメッセージ(クリックすると全部が見えます)
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こちらはレシピメモです。(クリックすると全部が見えます)
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  by iwakura-t | 2011-02-26 00:16 | 10年秋から11年春

頑張っています!

1月末からちょっと体調を崩してYakkoが入院しています。

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お友達や弟、妹、姪っ子、甥っ子がお見舞いに来てくれて、
たくさんパワーをくれるので、Yakkoも一日でも早く元気になれるよう、
頑張っています。

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お部屋には大好きな旅行先の写真を持ち込んだり、お気に入りのCDを掛けたり、
アオキさんのとろけるようなアロママッサージを受けたりしています。

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遠くは名古屋からもお花を送っていただきました、カタオカさん・・・ありがとうございます。
カタオカさんからのお花は本当に長く、きれいに咲き続けていました。

こちらはニッタさんの神戸出張のお土産、とってもおしゃれで素敵ですね。

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神戸三宮のステーキハウス「いかりや」さん、満喫できて良かったです。
大阪で立ち寄るはずだった「太陽の塔」は見れなくて残念だったね。
いそがしい中、毎日出勤前後に顔を出してくれて、本当に感謝しています。

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それからサカモトさん・・・
サカモトさんの献身的なフォローにはいくら感謝しても足りないくらいです。
これからも変わらぬお付き合いを、よろしくおねがいします。

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S-7病棟の看護師さんには・・・まだまだお世話になりますが、
本当に皆さんプロフェッショナルである上に、素敵な方ばかりでとても安心です。
これからもよろしくおねがいします。

その他にもご心配をおかけしている皆さん、
お見舞いに立ち寄ってくださる友人、知人の皆さん、
本当にありがとうございます。

一日でも早く回復するよう頑張りますね。

では、また。


※ 誠に残念ながら2011年2月21日(月)16:07に帰らぬ人となりました。
 入院中はご心配をおかけし、大変申し訳ありませんでした。
 友人知人大勢の参列を頂戴し、23日(水)、24日(木)にお別れの会を執り行いました。
 ご心配をいただいていた皆さん、お見舞いに来ていただいた皆さん、そして
 本Photologを見ていただいていた皆さん、ありがとうございました。
 今後の掲載については・・・しばらく時間をいただいてから決めたいと思います。

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  by iwakura-t | 2011-02-24 21:53 | 10年秋から11年春

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